2008年 12月 28日

時は金なり

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「時は金なり」
この西洋生まれのことわざを、
「無駄無く働け」
みたいに解釈していました。
日本人みたいなことを言うなあ、
と僕は少し誤解していました。


そのカフェも、
大きな西洋カエデの、
木漏れ日の中にありました。

僕のとなりの席では、
白髪のちょいワル風のおじさんが、
ペリエ(炭酸水)をたのんで、
葉巻をくわえながら、
クロスワードをしています。
ペリエにはほとんど口をつけていません。

僕の左どなりの兄さんに至っては、
本を積み上げていて、
片っ端から読むぞ、
読み終わるまで帰らんぞ、
という覚悟が、
ありありと伝わってきます。
やはりペリエをたのんでいますが、
ほとんど飲んでません。

僕の前の席には、
カップルとその友人風の、
若者三人がいますが、
ビールをたのんでいるものの、
コップには2/3ほど残っていて、
話をしながら、
まだまだねばっています。
ビールは減りません。

要なみんな、
飲み物をたのんで、
場所代を払い、
ねばってねばって、
ここでの時間を、
じっくりと楽しんでいるみたいです。

ギャルソン(カフェのウェイター)
も気にせずに、
笑顔で働いています。

とてもいい時間だと思いました。
時間そのものが素晴らしい。
「時は金なり」

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連載「ボンジュール!私、日本を探しております」
『ほしはら山のがっこう新聞』12月号
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# by takineru2 | 2008-12-28 18:38
2008年 11月 28日

パリのカラスは高い声で鳴く

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パリの通り沿いにある木は、
どれもこれもデカイ。大木です。

通り沿いに立つ建物は、
どれもこれも古い。文化遺産級です。

そんな通り沿いにカフェがある。

風が吹いて、
テントが吹き飛ぼうが、
メニューが飛んで行こうが、
少々雨が降っても、
みんな外のテラスでお茶をしたり、
食事をしたりしている。

なんだか、
街も、住んでいる人も、
少し力強い気がした。

スズメはパリにもいる。
カラスは鳴き声が少し高い。
ハトは動きが少し早い。

そして、

人間達も、
少しの違いはあるものの、
本質は、
あんまり日本と変わらない。

だからこそ、
通りの立派な大木と、
古い建物と、
カフェで楽しんでいる人々の力強さが、
うらやましく、
くやしかった。

なぜだか、ふと、、
帰国したら京都に行こう、
と思ったのでした。

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連載「ボンジュール!私、日本を探しております」
『ほしはら山のがっこう新聞』11月号
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# by takineru2 | 2008-11-28 21:57
2008年 10月 25日

カフェと床屋

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フランスのパリに降り立って一日目。
街をブラブラする。

カフェで朝食をとる。
コーヒーとバゲットとオレンジジュース。

歌を口ずさみながら働くギャルソン(ウェイター)
キビキビした動きだ。
木の床は分厚く、
落ち着いた照明の店内は、
居心地が良い。
屋根はあるもののオープンテラスになっていて、
皆、道路の方を向いて座っている。

家族が朝食をとっている。
隣りのおじさんは、コーヒー一杯たのんで、
タバコを一本吸った後、
新聞を読んでいる。
赤い服を着たおばあさんが、
クロワッサンを食べている。

メルシー!(ありがとう!)と、
いたるところから聞こえてくる。
ボンジュー!(おはよう!)と、
いわない人はいない。
サバ!(元気かい!)と、
笑顔で言っている。

言い忘れたけれど、
フランスでは、
形式的ないらっしゃいませ、、、
とかは言われない。

そして、
客であろうと、
挨拶しなかったら、無視される。

そのかわり、
元気よく挨拶さえすれば、
心の存在する、
本気の挨拶が帰ってくる。
生々しく、アナログな対応だ。

それは、ただの挨拶ではなく、
小さな会話であるような気さえした。

小さい頃近所に、
いつもおじさん達が集まって、
朝から将棋を打っていて、
それを囲んで世間話をしている、
そんな床屋があった。

ふるぼけた水色の壁と、
でこぼこのガラス戸。
そういえば、
あの床屋は、
よく朝日があたっていたなあ。

人が集まり、
そこに会話があった光景は、
ほの暖かい印象として、
記憶に残っているものだ。

フランスのカフェは、
そんな日本を思い出させてくれる、
朝日の良く似合う場所でした。

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連載「ボンジュール!私、日本を探しております」
『ほしはら山のがっこう新聞』10月号
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# by takineru2 | 2008-10-25 22:04
2007年 07月 12日

パンの善し悪しは山に聞け

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僕は、パン作りに迷うと、山へ登る。
「なるべく自然にパンを焼く。」
それが、僕のモットーだ。
石臼で挽いたグレーがかった小麦粉を使い、
水と塩だけで捏ね、薪で焼く。

自然の理にあっていれば、
ウソの無いパンになるはずだからだ。

自然のルールは、誰が作ったものでもない。
だから当然ウソもない。
時が経っても腐らない。

世の中に数ある常識もルールも、
宗教だって経済だって、
人が作ったものだからウソがある。

だったら僕はウソの無い自然の側の仲間になりたい。
けれど、僕らの世代は、
山で芝刈りしたり、川で洗濯したりと、
桃太郎のお話のような生活をしたことはないから、
自然界から仲間はずれをくっている。

一昔の日本人なら誰でももっていた、
季節を感じ、植物や動物や、目に見えないものまでもを感じる力を、
どうやら、無くしてしまったようなのだ。

そこで、僕は山に登ることにした。

雨が降っても、雪が降っても山を歩き、
その地形や植物や動物のことを知り、
火を焚き、川の水を飲み、
夜の寒さに震えて、暗闇に恐怖すれば、
すこしは自然側の人になれると思ったのだ。

本格的に山の勉強をしたのは、
北海道で山ガイドの修行をした時。

毎日毎日山へ登った。
時に岩を登り、時に川をよじり、
お客さんの荷物を背負って、
一歩一歩ハーハー言いながら歩いた。

山へ通っていると、
季節に敏感になり、空を見るようになり、風を気にするようになる。
山菜の味を知り、山で飲む水の美味しさを知る。
谷や尾根の起伏の造形美に圧倒され、
感動と恐怖が一体となった自然の芸術性をみる。

だから僕は、
今でもパン作りに迷うと、山へ登るのだ。
 
久しぶりに行くと、山は街暮らしに慣れた僕を拒む。
クモの巣が煩わしく感じられ、
虫を気持ち悪く感じ、
土の湿り気が肌に合わない。
 
でも、
山の頂で焚き火を焚いて、一晩過ごす頃、
やっと自然の側に帰れる。

ホッとやさしく、ゆったりと、
自然が包み込んでくれるような安心感を覚えるのだ。

そんな時、
リュックから自分の焼いたパンを取り出して食べる。
 
その場の雰囲気にしっくりと馴染んだのなら、、、
僕のパンは大丈夫だ。

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連載「旅するパン屋」第2回
『中国新聞』7月5日朝刊
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# by takineru2 | 2007-07-12 20:15
2007年 06月 30日

パンなんてなくなってしまえ!

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「パンなんてなくなってしまえ!」
とずっと思っていた。
実家はパン屋だったものの、パンは好きではなかった。
小学生の時にはすでに、屋上に寝転んで空を眺めながら、
パンを日本から一掃させる作戦を日々考えていた。

パン屋のペラペラした感じが嫌だった。
日本の食文化をダメにしているのはパンだと思っていた。
日本のふにゃふにゃはパンのふにゃふにゃだと思っていた。

次々と新しいパンが登場し、古いパンは忘れられ、
焼きたてをウリにし、その夜には捨てられて、
セカセカと、あれよあれよと、
文化のかけらも残さない、
「納豆を入れてみました」「たこ焼きも入れてみましょう」
、と技術よりも奇抜な発想が勝負の日本のパン。

でも、もんもんと考え考えしたところで、
日本からいっこうにパンはなくならない。
それどころか、
パンはしっかり根付いてしまって、
生活の一部にさえなっているではないか・・・
なんてこった!どうすればいいんだ。

その答えは旅をしながら見つけた。

パン屋になりたくなくて、
インドの紛争地帯、北海道の山奥、
沖縄の泡盛宴会、モンゴルの草原馬乳酒宴会と、旅を重ね、
様々なものを食べては飲み、それをとりまく文化を観るうちに、
どうせパンを無くせないのであったら、いいものにしよう。
日本の文化となるような本物のパンを焼こうと思えるようになった。

「パンなんてなくなってしまえ!」
と思っていたのも、パンが好きだからこそ、
ペラペラが許せなかったのだ。
パン屋の両親の苦労を見ていたからこそ、
フニャフニャのままでは悲しかったのだ。

しっかりと日本の食文化の一端をになえるぐらい、
どっしりかまえて、ゆるぎない、
誇りを持てるパンを、
お客、職人、日本のパン達の為にも作らないといけないのだ!

そんな熱いパンの話と、
そこまで導いてくれた旅の話を織り交ぜて読んでいただく、
12回の連載です。

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連載「旅するパン屋」第1回
『中国新聞』6月28日朝刊
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# by takineru2 | 2007-06-30 21:53